仕事、趣味、夢


なんとか最終電車に間に合わせて帰宅…ハァハァ。まぁ最終といっても、実際は最終の一本前なんだけど。ホントの最終に乗っちゃうと鷺沼止まりなんでね。SS設計のプログラム構造設計仕様書を書いているのだが、今まで書いていたUI仕様書よりはずっと面白い。ようやくデータベースとの絡みがまともに見えてきて、だいたいそのままプログラミングに落とせるレベルで記述しているので、日本語で脳内プログラミングしているような状態。ただ残念なのは、時間があまりにも無さ過ぎるために、結構無駄なデータの持ち方をしているのが見えてしまったりしても、修正できないことか。なんか迷子の子供が泣いているのを横目に、見ないふりをして通り過ぎるような罪悪感というか。趣味のプログラムなら、納得いくまでやり直しもできるのだが。

そう考えると趣味は趣味として、仕事とは別に持っておくのが幸せである。俺は幸いにして非常に多趣味な人間である。プログラミングももちろん趣味であるのだが、それ以外にも趣味と呼べるものがかなりある。音楽を聴くのも、弾くのも、作るのも好きだ。ゲームをするのも好きだ。読書も好きだ。車があるときはひたすら整備したり改造したりしていたし、こぢんまりとプラモデルを作るのも好きだ。みんなそれぞれ、それなりの時間と金を…はたからみれば無駄に費やしてきたつもりだ。高校生だった頃、俺はバンドに夢中だった。小学6年で初めてベースを買って以来、ずっとバンドで飯を食っていくのが夢だった。血豆が何度も潰れて、痛くて箸が持てなくなるまで練習した。その甲斐あってか、高校に入ってから組んだバンドで、札幌ではそれなりに有名なベーシストになった。YAMAHAが主催していたバンドコンテストで、札幌の地区大会ではあるがベストベーシスト賞なんてものももらった。当然ながらノボセた俺は、本気でバンドで飯を食おうと考えていたりもした。受験を控えた高校3年の夏、「バンドで食っていくから東京に行く、大学には行かない」と言って母親にマジギレされたことを思い出す。数日後落ち着いた母親がこういった。「趣味は仕事にする物じゃない。仕事になった瞬間から、趣味といってはいられなくなるのよ」と。趣味が仕事になるなんて、そんなに幸せなことはないと俺は思っていた。でもいつからか、そのとき母親の言った言葉の意味がわかるようになっていた。

バンド三昧だったのに、夢が趣味の一つに置き換わったそのときから、一気に趣味の幅が広まったような気がする。夢が叶わないものであると悟り、その代替行為を求めた結果なのだろうか。プログラミングがその趣味で一つで、今それで飯を食っている。趣味が仕事になっていると言えるが、プログラマになることは夢ではなかった。では俺の夢はなんなのだろう。あの中学・高校自体に抱いていた夢は、いまどこに行ってしまったのだろう。大人になっていくということは、叶わない夢を切り捨てていくことなのだろうか。ドラえもんの「もしもボックス」があったなら、高校生だったあの時に、親の反対を押し切って夢を追いかけていたらどうなっていたのか、見てみたい。