常識の檻


昨日書いたとおりバニラ・スカイの感想なんぞを。

「オープン・ユア・アイズ」というスペイン映画のリメイク。トム・クルーズがその映画権を買い上げて、製作・主演という作品。監督はキャメロン・クロウ、ヒロイン役にキャメロン・ディアス&ペネロペ・クルス。トム・クルーズ扮する主人公のデヴィットは、大手出版社社長の親父が死んで、全遺産を相続したプレイボーイ。地位も財産もあり、なおかつルックスよし。そんな彼にはキープしている恋人が。名をジュリーという。キャメロン・ディアスですな。メリーに首ったけですな。で、デヴィットは誕生パーティーで出会ったソフィア(ペネロペ・クルス)に、「NYにまだこんな純真な子がいたなんて….」と一目惚れ。ニコール・キッドマンから乗り換えるトムの気持ちはよくわかる、とか言ってみるテスト。ペネロペ・クルスって美人は美人なんだけど、それにプラスしてかわいいという要素もありで、俺的には相当ランクの高い女優さんであります。Lux Super Rich?。

デヴィットがソフィアに惚れたことに気づいたジュリー、車で無理心中を謀るがデヴィットは一命を取り留める。しかしその代償として醜い顔になってしまい、性格もいじけてしまったデヴィットに親友もソフィアも冷たい。打ちひしがれるデヴィットだが、顔を再生する方法が発見されて元通りにハンサムに。しかし彼の人生は思わぬ方向に転がっていく…というのがまぁ大まかなあらすじ。

実は途中から夢でした、という禁じ手的なオチなんだが。俺的にはこの映画の言わんとすることは、この世の中に存在する「現実」や「常識」といったものが、いかに脆いものであるかってことだと思った。それでもなお、デイビッドは現実を選択する。それは自分にとっての幸せとはなんなのか、その答えを見つけるためだろう。

よくわからないのは、結局のところデヴィットをあそこまで凹ませたのは顔なのか、ソフィアなのか?それとも両方なんだろうか。まぁそういったことも含めて、謎解き的な楽しみ方のできる作品じゃないかと。デヴィットの回想や夢を、ジグソーパズルのように組み立てながら観る映画。BGMもともすれば場違いな選曲になりそうだが、なぜか雰囲気がピッタリだから不思議。キャメロン・クロウマジックなのか?

元ネタの「オープン・ユア・アイズ」を観たことがないが、きっとそっちを観たことがある人ならまた違う印象を受けるんだろうな。まぁ凝ってます、「バニラ・スカイ」は。トム・クルーズがインタビューでも言っていたけど、1度見ただけではわからなかった細かい作りこみが、2度目観たときに見えてきてまた楽しめるような、ちょっとマニアックな感じ。久々に泣ける路線とは違う、いい映画を観た感じがするなー。

ところで…バニラ・スカイを観てフト思い出したのだが、学生のころ哲学の講義で、「この世界で、絶対間違いない・正しいと言えるものはなにか」という話を聞いた。例えば赤い血を見たとする。でもその血は本当に赤いのか、わからない。他人からどう見えているのか、知ることはできないから。赤く見えるよ、と友達が言ったにせよ、友達が思っている赤と、自分が思っている赤が同じだという確証はない。もしくは嘘を言っているかもしれない。全然赤くない色を赤だと思っているのかもしれない。というわけで、見えるもの・聞こえるもの全てが正しいとは言えない。同様にして、夢と現実の区別もつけることはできないのではないか?夢を見ているときは「これは夢だ」とわかっている、という人がたまにいる。夢だとわかるのはなぜ?そして、目が覚めればそこは現実だと?俺は、「恐ろしい夢を夢を見て目を覚ますが、それもまた夢だった」という夢を見たことがある。一瞬夢と現実の区別がつかなくなり、とても怖くなった。下手なホラー映画を観るよりも怖い。今なお、現実がなぜ現実であると確信が持てるのか?と問われると、誰もが納得できる明確な理由をつけることができない。今俺はこうして日記を書いているが、これが現実だという確たる証拠は何もない。だが、よくわからない常識という檻に入れられて、どういうわけが現実を現実として受け止めて生きている。

狂気と天才は紙一重、とよくいう。檻から脱出する方法を発見し、檻の中を外から眺めたり、頭だけ檻から出して遠くを眺めたりして、いろいろ考える人が天才。脱走したまま戻ってこない人が狂人。そんな風にフト思った。檻の中にいる我々は、外の世界がどうなっているのか知ることはない。怖いもの見たさで外をのぞいてみたい気がするが、常識オブラートでコーティング済みの俺には何も見えないのかも知れない。つまらない大人になりたくない、と思春期のころ考えていた記憶があるが、つまらない大人まっしぐらな自分に気づいてショボーン。