見つからないコトバ


先日、卒業式を終えた。本当は当日、最低でも翌日にはこのことを書いてアップする予定でいた。だが出来なかった。人生の節目、新たな出発点として喜ばしい一日であるはずだった。でも俺にとって…専門学校と大学の弊習という辛い4年間をともに過ごしたクラスメートみんなにとって、恐らく人生最悪の日となってしまったことは皮肉なものだ。

卒業式終了後、別なホテルで記念パーティーが行われ、そのまま2次会・3次会と続いた。1次会が15時から行われていたこともあって、3次会終了時点でまだ23:45だった。みんな既に会社の研修が始まっていたり、引っ越しの準備があったりと忙しいためお開きとなり、それぞれ帰路についた。俺が最悪の電話連絡を受けたのは、それからわずか15分後のことだった。地下鉄の駅を降り、すでにバスがないため歩いて帰る途中で、ふと携帯を見ると不在着信が。M山からだった。いつも飲み会の後は最低1人は具合の悪くなるやつがいる。さっき吐きそうだと言っていたやつがいたから、そいつがゲロでも吐いて動けなくなっているのだろうと予想しつつ電話をしてみる。「I君が車に轢かれたらしいんですよ…車出せませんか」一瞬意味がわからない。「I野が一緒にいて…混乱してて話にならないので状況がわからない」という。少し間をおいてようやく状況を理解したので、まずは帰って車を取って、もう一度電話をすることにした。幸い風邪を引いており体調がさほど良くなかったので、酒はかなり控えていたし、まだまだ寒い札幌の夜、歩いていれば酔いなど覚める。たとえ警察に止められても何ともない程度であったので、とりあえず急ぎ足で家まで戻る。途中、中央署に集まってくれと先生が言っているという電話を受ける。どうやら事態は最悪であるようだ。念のため病院じゃないのかと訪ねてみるが、「救急車は来たみたいですけど…そういう状況じゃないそうです」と冷たい現実。こういうとき、不思議と人は冷静だ。むしろ、混乱してしまった方が幸せだと思えるほどに、悲しいくらいに冷静だ。もちろん、ついさっきまで一緒にいた友人の死というものが悲しい、と思えるほどの現実は皆無。ただ現実として…死んだというコトバだけが、頭の中でリフレインするばかり。悪夢を見ている最中、これは夢なんだと客観視している夢を見ることがある。イヤな夢だから早く目を覚まそうと努力したりもする。歩きながら、これは夢なんじゃないだろうかと何度か思った。正確に言えば、夢であって欲しいと。でも夢じゃないことはわかっていた。

K瀬、M山を車で拾って中央警察署に向かう。着いたときには既に数名がロビーにいたが、一様に無言。最終的に十数名がやってきて、婦人警官に二階のロビーで待つように言われ移動する。堅く座りにくい椅子に腰掛け、黙ったまま缶コーヒーを飲みタバコを吸う。こういうときタバコはありがたいものだと思う。少なくとも数分間は、タバコを吸うことで気が紛れるから。誰もしゃべらないロビーでは、他にすることがない。

待つこと3時間、Iのご両親が共和町から来る。札幌から車で2?3時間の小さな町だ。錯乱気味のお母さんと、平静さが逆に痛々しいお父さん。さすがにご両親の顔を見ると、あぁIは本当に死んだんだと思った。それからさらに長い時間ひたすら待って、午前8時過ぎにようやく「遺体が共和町のほうに戻られますので、お見送りを…」と言われる。いったん外に出て裏口に回る。朝の光が腹の立つほどに眩しかった。ワゴン車の中に棺が横たわっており、蓋を開けてくる。顔は白い布がかけられ見せてはもらえない。事故で頭半分は潰れてしまい、家族にも顔は見せていないそうだった。遺体を前にして、何かコトバをかけようと思っていたがなにも出てこない。ついさっきはまでは、4月1日に入社して軽井沢まで研修に行くという話を聞いて、他愛もない話で盛り上がっていたのに。そのときはかけるコトバが見つからなかった。ご両親にもかけるコトバなどない。泣きながら「みなさんどうもありがとう」という両親に、なにを言えばいいのか。ただコトバなく頭を下げるだけだ。病気で長く入院していたりというのなら、家族もまわりも心の準備がまだ出来る。一瞬で命を奪う事故は、それだけに残酷だ。

遺体を見送った後、ようやく事故の詳細を聞く。横断歩道を青信号で渡っているときに、右折してきたダンプの右後輪に巻かれて即死であったらしい。一緒にいたI野が無傷であったことが不幸中の幸いと言えなくもない。が、ココロの傷は一生癒えないものになるだろうことは想像に難くない。入学当初から家が近いこともあって仲が良かっただけに、ショックだろう。I野は8時を過ぎた時点でも、まだ事情聴取から解放されず、いつ終わるのかわからないとのことだった。何度か取調室から出てきて、ジュースを買ったりタバコを吸ったりしにきたが、思ったより元気そうではあった。目の前で友人が死ぬってことが、俺にはどういうことがわからない。ましてや目を見開いたまま、頭の半分潰れた友人を見てしまった人間の気持ちなどわかりっこない。考えてみれば警察という職業は、そういった人たちから毎日のように話を聞かなければならないのだから、さぞかし気を遣うものであろうと思う。加害者だって事故を起こしたくて起こしたわけではないだろうから、間違っても冷静ではないだろう。やはり警官は、仕事だからと割り切れるものなのだろうか。

翌日、お通夜のために共和町へ向かう。みんなで集まってバスに乗ったが、雑談するだけの精神的余裕があって救われた。だが会場で遺影や、事故当時手に持っていたであろう2枚の卒業証書と表彰状を見ると、まさに人生これからと言うときになぜと思う。人の死に対する「なぜ」など意味のないことはわかっている。「人の命とは儚いもので…」わかっている。「人はいつか死ぬのだ」そんなことはわかってる。思い浮かぶのは、「なぜ」…ただこの二文字だけ。

人の死は悲しいものだと思っていた。事実、今まで何度か通夜や葬式にいったが、単純に悲しかった。そういえば生前こんな話をしたな、などと思い出して涙が出たり…そういうものだと思っていた。でも今回は、悲しいと言うより悔しい。色々なことに対して…悔しい。多くの人が交通事故で家族や友人を亡くしているにもかかわらず、それ以上に多くの人が事故に対して他人事だ。俺自身も、また友人たちもいままではそうだった。交通事故の悲惨さは理解していながらも、どこか他人事だった。でも現実はそうじゃないんだということを、改めて痛感したし決して忘れちゃいけないと思う。それが何よりの供養になると思うし、そうであると思いたい。これを最後まで読んでくれた人たちも、車を運転するときや道路を横断するときには十分注意してもらいたい。これ以上辛い思いをする人が増えませんように。